企業家精神9月号

企業家精神                                                          2021年9月1日

 

音読してみませんか?項目ごとに、◎、○、△、×と評価してみませんか?氣づきが生まれます。

 9月は夏と秋の境目とした季節であり、前後合わせて「3つ」と言うキーワードで作成してみました。9月そのものは、長月(ながづき)で、夜長月の由来だとも言われます。また、稲刈月(いねかりづき)、寝覚月(ねざめつき)の別名もあります。色々説がありますね

 

 

■他律■ ≪自らの意思ではなく、他からの命令や強制によって行動することです。それでいいですか

他律の考え方で一生を過ごすことでは、人間が人間たる意味がなくなると思います。人はやはり、自らの意思をもった自律という自分で、自らをマネジメントできることが大切だと考えます。人は誰もが、自分の意思で行動したいと思うはずです。いつも前向きに、人間としていかに生きるかと考えたいものです

・他律と自律を合わせもつことを、合律(ごうりつ)と言います。矛盾したことを考えることは時に大切です

 

■ルールとマナー■ ≪さて皆さん、どう説明できますか?知っているようで説明は難しいものです

ヨコ文字になると元の意味もわからなくなるものです。時には辞書などで再確認して使うようにしたいものです。ルールは、社会の秩序を保ために罰則を伴うことがあり、規則、法律です。マナーは、円滑な人間関係を保つために慣習に従う礼儀ですが、これは個人の判断の差があることを知っておくべきです

・さらにモラルは、皆が幸せに生きるための善悪の判断が必要ですが、常にレベルアップしたいことです

 

■教養■ ≪一番は誰でも知っていますが、二番、三番も知っておくと少し羨望の眼で見られます

多くの人は、表面的なことでの思い付きの話でも盛り上がります。日本で一番高い山は、富士山です。二番は南アルプスの北岳(3193m)、三番目は北アルプスの穂高岳(3190m)ですが、なかなか思い出せません。でもこれが会話の中にさりげなく出せると、話し相手はもう少し聞いてみようと思うはずです

・欧州では、ワインの銘柄、オペラの楽曲、モーツァルトのケッヘル番号も3つで十分でした

 

■逆境■ ≪ニュートンは疫病で勉強ができなかった時に、1年余りで3つの大きな偉業を残せました

昨年からのコロナの影響で、生産活動並びに生活もままならなくなりました。今から300年以上前にも同様なことが発生した中で、大きな業績を発表することができました。しかも学生の時です。その環境下においても、ないからこそできる、ないから別のことを考え抜く、という発想がますます必要だと考えます

・万有引力の法則、微分積分法、3つ目はプリズムなどの光の分析ですが意外な組み合わせです

 

■ラジオ体操第三■ ≪ラジオ体操は、実は第三もあります。でも難しくすぐにすたれてしまいました

現在は復活してビデオで再現が確認できますが、上半身を捻転させることが特徴の体操でした。当時ラジオでは、その動きをなかなか伝えることができず、1年余で普及はムリとなり中止になったそうです。わかりやすさ、伝えやすさ、そしてすぐに売れる商品作りや宣伝の仕方も合わせて考えなければなりません

・作曲は、第一が服部正、第二が團伊玖磨。この第三が橋本國彦ですが、調べて初めて知りました

 

■三段跳び■ ≪ホップ、ステップ、ジャンプの速度、跳躍の調和と配分で、記録が大きく左右します

1928年、1932年、1936年の五輪では、日本人選手が三段跳びで三連覇を達成しています。踏み切り板のタイミングが記録に大きく影響するそうです。また3つの跳躍も割合も、33:29:38の割合で良い記録が出ると言います。何事もタイミング取りやバランスの配分は、日頃の練習や訓練そして研究の賜物です

・ちなみに織田幹雄が日本最初の金メダリストでした。小柄であっても技術力などでカバーされた

 

■形(かたち)を整える■ ≪心は形に従い、外見を整えていくと、呼応して内面も磨かれていきます

見た目はとても大切です。外見だけで、9割がその人もこともわかると心理学では言われています。でも外見を左右するのは、心の在り方や姿勢にあると考えます。些細なことや何気ない仕草も、心の赴くままの結果として現れ来るものです。きちんとして凛とした所作は、人柄そのものではないでしょうか?

・男は何気ない優しさ、女は何氣ない仕草で、分わかってしまうことを聞いたことがあります

 

■感じるか意識するか■ 普段使うのは危機感ですが、危機意識はあまり使いませんが、なぜ?

この二つの言葉の異なる点は、「危機感」は心の動きを表しますが、「危機意識」は心の状態だけでなく、物事の秩序や状況そして価値観がもはや壊滅的に向かっていること意味しています。コロナ禍でどう対応したのかは、意識するかどうかの差ではないでしょうか。意識することで、考動が違ってしまうと考えます

・感じると意識するは随分と違います。行動から少し考える考動になれば即対応が可能になります